都心に木曽の民家を移築したようなこの作品は、建物の間口が僅か3.6m程の、俗に"うなぎの寝床"と呼ばれる2世帯住宅である。計画当時は、ちょうどバブルの最盛期で、贅沢さを競う様に続々と"豪邸"が出現していた。私は、このような時代の風潮に少々反発を覚え、"豪邸"よりも"秀邸"(このような言葉はあるかどうか…)を創りたいと思っていた。
計画にあたり、様々な方面に造詣の深いご主人が、京都・龍安寺の水鉢を話題にされた時、大きな味方を得た気がした。ここに刻まれた「われ、唯、足るを知る」は、今もって私が住宅に対して提唱することであり、住まい手も上手に住まう為の心得にするべきではないかと思っている。すべてが過美過飾な時代に、敢えて豪華さとは無縁のこの住まいは、今日も移りゆく都心の中で、ささやかな自己を主張し続けている。 |