池袋にある茶屋・数奇屋・古民家の設計や再生をメインに行う創業40年を超える「一級建築士事務所たかつか建築設計事務所」のブログです。日本の伝統文化を継承する中で現代的なデザインと技術を取り入れ、21世紀の和風建築を創ります。家は買うものでなく、創るものだと考えます。
2020.01.16

日本人が「座る」ということ

茶室このところ異常気象により、昨今では毎年のように日本のどこかで災害が発生している。誠に心痛の限りであり、災害に合われた方々に、一日も早く日常を取り戻してほしいと思う。
そんな中でも注目してしまうのは、避難先の体育館等は大混乱雑しているにも関わらず、暗黙の内に最初に生まるルールが、土足厳禁であるように思われることである。
素足で生活する民族がどれくらいいるか知らないが、風呂にも入れない状態で、最低限寝泊りに必要なスペースを土足厳禁にして床をきれいに保とうとするあたり、まさに日本人の日本人たる所以ではなかろうか。

最近、都心の外国人向けマンションにお住いのお宅を訪問した。
外国人向けということで、生活習慣の違いから土足対応のプランになっており、玄関に靴を脱ぐスペースはない。そこでこちらにお住まいの日本人家庭では、玄関に沓葺きマットを敷くことにより靴の履き替えスペースとし、土足と素足の区分けをしていた。海外への出張や旅行が多いこのご家族も、土足の生活はやはりなじめないといったところか。
土足と素足の切替場所は、これから先も日本人の住宅から排除されることはないだろう。

また、現代では一般的となっている椅子の生活も、私の毒舌をもってすれば明治初期のぎこちない西洋文明のようで、それはちょうど表面を取り繕う鹿鳴館のパーティーのようなものだと思ってしまうのだ。
実際のところ、リビングに設えたソファ等は、腰を掛けるよりも床に座して背もたれに用い、肝心の座面にはたたまれた洗濯物や新聞・雑誌等積んであるのをよく目にする。
腰を「掛ける」寛ぎと、腰を「おろす」寛ぎは、私たち日本人にとって、より後者の方が得やすいのであろう。

食事のテーブルに関しても、食卓の高さはキッチンの作業台との高低差を少なくして、配膳時の立ったり座ったりする行為を省いているだけの事ではないだろうか。
家族が揃う夕餉に一日の疲れを癒し、寛いで団欒する一つの仕掛けとしてこの家具(椅子とテーブル)をとらえた時、はたして日本人にとって椅子式というのはどうなのだろう。(もちろん車いす等での生活は別として)
例えば「鍋を囲む」などは、私たち日本人にとって、家族であれ、仲間であれ、団欒の証しのようなニュアンスがあり、しかも季節感を演出するのにも最適であり、やはりそれは「腰をおろす」という行為がとても似合っている。

話しは少々横道にそれるが、私は「男はつらいよ」の寅さんファンである。
映画の中で食事をするシーンが度々出るが、久々に帰ってきた寅さんを家族がその茶の間の食卓へ暖かく迎え入れるわけだが、あの和やかな雰囲気を椅子式の食卓に求めても無理がある。
日本人は古来より土足と素足を切り替え、腰を下ろす生活をしてきた。
現代では生活の中に椅子があるのが一般的であるが、それでもなお床へ腰をおろしたがる日本人を、私は少し微笑ましく思うのだ。